Dhammapada(法句経)pāḷi(聖典)
第1章 雙要品
Yamaka(対句の)vaggo(章)
日本語訳:中村元(青字)、正田大観(黒字)、常盤大定(紫字)
1.
ものごとは心にもとづき、
Manopubbaṅgamā dhammā,
諸々の法(dhamma)は、意(mano)を先行〔の因〕(pubbaṅgamā)とし、
※ Mano-pubbaṅgamā(意を先導する)
mano(意、心) + pubbaṇgama(先行、先駆、先導)[pubba(前の)+ gama(行く)]
心を主とし、心によってつくり出される。
manoseṭṭhā manomayā;
意(manno)を最勝〔の因〕(seṭṭhā)とし、意(mano)をもとに作られる(mayā)。
※ mano-seṭṭhā(意を第一とする)
mano(意、心)+ seṭṭha(最上の)
※ mano-mayā(意所成、意生の)
mano(意、心)+ maya(製の、作の)
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、
Manasā ce paduṭṭhena, bhāsati vā karoti vā;
もし(ce)汚れた(paduṭṭha)意で、あるいは(vā)語り(bhāsati)、あるいは(vā)為す(karoti)なら、
※ Manasā(心によって)
mano(意、心)の具格(instr.)
苦しみはその人につき従う。
Tato naṃ dukkham anveti,
そのうち(tato)彼に(naṃ)苦しみ(dukkha)が従い行く(anveti)。
※ anveti(従う、近づく、従い行く)
anu(従って) + eti(行く)
車をひく〔牛〕の足跡に車輪がついて行くように。
cakkaṃ va vahato padaṃ.
〔荷を〕運ぶ〔牛〕(vahato)の足跡(pada)に、車輪(cakka)が〔付き従う〕ように(va)。
※ vahato(運ぶものの、牛の)
[ vahati(運ぶ) の現在分詞(ppr.)、所有格(Gen.)〜の]
※ vahati(運ぶ、運搬する、運載する、実行する)の活用形- 命令形(imper.)vaha
- 不定体(inf.)vahituṃ
- 未来受動分詞(grd.)vahitabba
- 現在分詞(ppr.)単数(sg.)所有格(gen.)vahato
- 過去分詞(pp.)vahita
- 受動動詞(pass.)vuyhati, vahīyati
- 使役動詞(caus.)vāheti
何事も皆、心より起る。
心を本(もと)に成らぬものなし。
心為法本 心尊心使
ものいふに、またふるまふに、
けがれたる心よりせば、
中心念悪 即言即行
車に轍(あと)のそふごとく、
苦みに従はぬ事あらじ。
罪苦自追 車轢於轍
All that we are is the result of what we have thought:
it is founded on our thoughts,
it is made up of our thoughts.
If a man speaks or acts with an evil thought,
pain follows him,
as the wheel follows the foot of the ox that draws the carriage.
2.
ものごとは心にもとづき、
Manopubbaṅgamā dhammā,
諸々の法(dhamma)は、意(mano)を先行〔の因〕(pubbaṅgamā)とし、
※ mano(意・心)の変化形
- 主格(nom.)目的格(acc)mano, manaṃ
- 与格(dat.)所有格(gen.)manaso
- 具格(instr.)manasā, manena
- 奪格(abl.)manato
- 処格(loc.)manasmiṃ, manamhi, mane, manasi
心を主とし、心によってつくり出される。
manoseṭṭhā manomayā;
意(manno)を最勝〔の因〕(seṭṭhā)とし、意(mano)をもとに作られる(mayā)。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、
Manasā ce pasannena, bhāsati vā karoti vā;
もし(ce)清らかな(pasanna)意で、あるいは(vā)語り(bhāsati)あるいは(vā)為す(karori)なら、
※ pasanna(明浄の、澄浄の、浄信ある、己信の、喜んだ)
pasannena[具格(instr.)〜によって]
福楽はその人につき従う。
Tato naṃ sukham anveti,
そののち(tato)彼に(naṃ)楽しみ(sukha)が従い行く(anveti)。
※ sukha(楽、安楽、幸福)
sukham[主格(nom.)〜は、〜が]
影がそのからだから離れないように。
chāyā va anapāyinī.
影(chāyā)が離れない(anapāyinī)ように(va)。
※ chāyā(影、日陰、似像)
※ anapāyinī(去ることのない、離れない)
an + apāyin(離去の)
何事も皆、心より起る。
心を本(もと)に成らぬものなし。
心為法本 心尊心使
ものいふに、また、ふるまふに、
うるはしき心よりせば、
中心念善 即言即行
形に影のそふごとく、
楽みの随(したが)はぬ事あらじ
福楽自追 如影随形
All that we are is the result of what we have thought:
it is founded on our thoughts,
it is made up of our thoughts.
If a man speaks or acts with a pure thought,
happiness follows him,
like a shadow that never leaves him.
出典:
YouTube
Dhammapada (Pali) - 1/26. Yamakavaggo - by Ven. Ariyadhamma Maha Thero
中村元
『ブッダの真理のことば・感興のことば』
正田大観
『小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)』
国会図書館デジタルコレクション
常盤大定『法句経 : 南北対照英・漢・和訳』
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