2020/04/10

ダンマパダ 日パ対訳 1/26


法句経
Dhammapadapāi 




第一章 ひと組ずつ (一対の章)

1.
ものごとはmanoにもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れたpaduṭṭhamanoで話したり行ったりするならば、
苦しみdukkhaはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

Manopubbagamā dhammā, manoseṭṭmanomayā;
Manasā ce paduṭṭhena, bhāsatikaroti vā;
Tato na dukkhamanveti, cakkava vahato pada.

もろもろのdhammamanoを先に manoを主にmanoより作られる
もしも汚れたpaduṭṭhamanoをもって 語りbhāsati、あるいは行なえばkaroti
それよりdukkhaがかれに従うanveti 牛足跡pada車輪cakkaのように


語句:
汚れたpaduṭṭha心(意)mano
清らかなpasanna心(意)mano

2.
ものごとはmanoにもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかなpasannamanoで話したり行ったりするならば、
福楽sukhaはその人につき従う。影がそのからだから離れないように。

Manopubbagamā dhammā, manoseṭṭmanomayā;
Manasā ce pasannena, bhāsatikaroti vā;
Tato na sukhamanveti, chāyāva anapāyinī [anupāyinī (ka.)].

もろもろのdhammamanoを先に manoを主にmanoより作られる
もしも清きpasannamanoをもって 語りbhāsati、あるいは行なえばkaroti
それよりsukhaがかれに従うanveti 離れることなきchāyāのように


語句:
dukkha
sukha

3.
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。
かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」
という思いをいだく人には、怨みveraはついに息(や)むことがない。

Akkocchi ma avadhi ma, ajini [ajinī (?)] ma ahāsi me;
Ye ca ta upanayhanti, vera tesa na sammati.

「私を罵ったakkosati、私を打ったvadhati 私を破ったjināti、私を奪ったharati
かかる思いをとどめる者に 怨みvera静まるsammatiことはない


4.
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。
かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」
という思いをいだかない人には、ついに怨みveraが息(や)む。

Akkocchi ma avadhi ma, ajini ma ahāsi me;
Ye ca ta nupanayhanti, vera tesūpasammati.

「私を罵ったakkosati、私を打ったvadhati 私を破ったjināti、私を奪ったharati
かかる思いをとどめぬ者に 怨みveraはやがて静まりゆくupasammati


5.
実にこの世においては、怨みveraに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息(や)むことがない。
怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

Na hi verena verāni, sammantīdha kudācana;
Averena ca sammanti, esa dhammo sanantano.

この世の怨みvera怨みveraをもって 静まるsammatiことはありえない
怨みを捨ててaveraこそ静まるsammati これは永遠のsanantanadhammaである


6.
「われらは、ここにあって死ぬはずのものであるyamati」と覚悟をしよう。
このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

Pare ca na vijānanti, mayamettha yamāmase;
Ye ca tattha vijānanti, tato sammanti medhagā.

他の者らは知るvijānātiことがない 「われらはここで死ぬyamatiのだ」と
しかしそこで知るvijānāti者らに どの争いmedhagaもそれより静まるsammati


7.
この世のものを浄らかsubhaだと思いなして暮らし、(眼などの)感官を抑制せず、
食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。
弱い樹木が風に倒されるように。

Subhānupassi viharanta, indriyesu asavuta;
Bhojanamhi cāmattaññu, kusīta hīnavīriya;
Ta ve pasahati māro, vāto rukkhava dubbala.

美のものなりsubha」と観続けanupassin 感覚器官indriyaを護らずに住みviharati
食事bhojanaに量を知ることもなく 怠けてkusīta精進viriyaすることもない
かれを悪魔māraが必ず襲うpasahati vāta弱いdubbalarukkhaを襲うように


8.
この世のものを不浄であるasubhaと思いなして暮し、(眼などの)感官をよく抑制し、
食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。
岩山が風にゆるがないように。

Asubhānupassi viharanta, indriyesu susavuta;
Bhojanamhi ca mattaññu, saddha āraddhavīriya;
Ta ve nappasahati māro, vāto selava pabbata.

美のものならずasubha」と観続けanupassin 感覚器官indriyaを護り住むviharati
また食事bhojanaにも量を知り saddhaあり精進viriya努力する
かれを悪魔māraは決して襲わず vātaselapabbataを襲わぬように


語句:
浄らか(美のものなり)subha
不浄である(美のものならず)asubha

9.
けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、
自制damaが無く真実saccaも無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。

Anikkasāvo kāsāva, yo vattha paridahissati;
Apeto dama_saccena, na so kāsāvamarahati.

汚れkasāvaを除き去らずして 袈裟kāsāvavatthaまとおうparidahati
調御dama真理saccaほど遠いapeta 彼は袈裟kāsāvaに値せず


10.
けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、
自制dama真実saccaとをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。

Yo ca vanta_kasāvassa, sīlesu susamāhito;
Upeto dama_saccena, sa ve kāsāvam_arahati.

しかし汚れkasāva除き去りvanta もろもろのsīla安定しsamāhita
調御dama真理saccaそなえたるupeta かれこそ袈裟kāsāva値するarahati


11.
まことではないものasāraを、まことであると見なし、
まことであるものsāraを、まことではないと見なす人々は、
あやまったmicchā思いsakappaにとらわれて、ついに真実(まこと)に到達しない。

Asāre sāramatino, sāre cāsāra_dassino;
Te sāra nādhigacchanti, micchā_sakappagocarā.

不真asārasāraと思いなし またsāra不真asāra見るdassin
かれらはsāraにいたらない 邪悪なmicchā考えsakappa持つゆえに


語句:
まことであるもの(真)sāra
まことでないもの(不真)asāra

12.
まことであるものsāraを、まことであると知り、
まことでないものasāraを、まことでないと見なす人は、
正しきsammā思いsakappaにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。

Sārañca sārato ñatvā, asārañca asārato;
Te sāra adhigacchanti, sammā_sakappagocarā.

しかしsārasāra知りjānāti また不真asāra不真asāraと知る
かれらはsāraによくいたるadhigacchati 正しいsammā考えsakappa持つゆえに


語句:
あやまった(邪悪な)micchā思い(考え)sakappa
正しいsammā思い(考え)sakappa

13.
屋根を粗雑に葺いてある家にはvuṭṭhiが洩れ入るように、
cittaを修養していないならば、情欲rāgaが心に侵入する。

Yathā agāra ducchanna, vuṭṭsamativijjhati
Eva abhāvita citta, rāgo samativijjhati.

あたかも粗く葺かれたducchannaagāraに vuṭṭhi深く染み込むsamativijjhatiように
修習されていないabhāvitacittaに 貪りrāga深く染みてゆくsamativijjhati


語句:
(屋根の)粗く葺かれたducchannaagāra
(屋根の)よく葺かれたsucchannaagāra

14.
屋根をよく葺いてある家にはvuṭṭhiの洩れ入ることが無いように、
cittaをよく修養してあるならば、情欲rāgaの侵入することが無い。

Yathā agāra suchanna, vuṭṭhī na samativijjhati;
Eva subhāvita citta, rāgo na samativijjhati.

あたかもよく葺かれたsucchannaagāraに vuṭṭhiが深く染み込まぬように
よく修習されたbhāvitacittaに 貪りrāgaは深く染みゆかず


語句:
修習(修養)されていないabhāvitacitta
修習(修養)されたbhāvitacitta

15.
悪いことをした人pāpakarinは、この世で憂え、来世でも憂え、
ふたつのところで共に憂えるsocati
かれは、自分の行為kammaが汚れているのを見て、憂え、悩む。

Idha socati pecca socati, pāpakārī ubhayattha socati;
So socati so vihaññati, disvā kammakiliṭṭham attano.

悪行の者pāpakarinこの世idha嘆きsocati あの世pecca嘆きsocati
両世ubhayattha嘆きsocati
かれは嘆きsocati、かれは悩むvihaññati 自己の汚れたkiliṭṭhakamma見てdassati


語句:
悪行の者pāpakarin
善行の者katapuñña

16.
善いことをした人katapuññaは、この世で喜び、来世でも喜び、
ふたつのところで共に喜ぶmodati
かれは、自分の行為kammaが浄らかなのを見て、喜び、楽しむ。

Idha modati pecca modati, katapuñño ubhayattha modati;
So modati so pamodati, disvā kammavisuddhim attano.

善行の者katapuññaこの世idha喜びmodati あの世pecca喜びmodati
両世ubhayattha喜びmodati
かれは喜びmodati、かれは満ちるpamodati 自己のkamma清まりvisuddhi見てdassati


語句:
嘆くsocati
喜ぶmodati

17.
悪いことをなす者pāpakarinは、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、
ふたつのところで悔いに悩むtappati
「わたくしは悪いことpāpaをしました」とって悔いに悩み、
苦難のところ(=地獄など)duggatiにおもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む

Idha tappati pecca tappati, pāpakārī [pāpakāri (?)] ubhayattha tappati;
‘‘Pāpa me kata’’nti tappati, bhiyyo [bhīyo (sī.)] tappati duggati gato.

悪行の者pāpakarinこの世idha苦しみtappati あの世pecca苦しみtappati
両世ubhayattha苦しみtappati
「私はpāpaなしたkata」と苦しむtappati 
悪道duggati行きgacchatiさらにbhiyyo苦しむtappati


語句:
悪道duggati
善道sugati

18.
善いことをなす者katapuññaは、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、
ふたつのところで共に歓喜するnandati
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、
幸(さち)あるところ(=天の世界)sugatiにおもむいて、さらに喜ぶ。

Idha nandati pecca nandati, katapuñño ubhayattha nandati;
‘‘Puñña me kata’’nti nandati, bhiyyo nandati suggati gato.

善行の者katapuññaこの世idha歓びnandati あの世pecca歓びnandati
両世ubhayattha歓びnandati
「私はpuññaなしたkata」と歓びnandati 
善道sugati行きgacchatiさらにbhiyyo歓びnandati


語句:
苦しむtappati
歓ぶnandati

19.
たとえためになることを数多く語るにしても、
それを実行しないならば、その人は怠っているpamattaのである。
牛飼いgopaが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。

Bahumpi ce sahita [sahita (sī. syā. ka. pī.)] bhāsamāno,
na takkaro hoti naro pamatto;
Gopova gāvo gaaya paresa, na bhāgavā sāmaññassa hoti.

聖語をたくさんbahu語ろうbhasatiと 
その実践takkaraがなく怠るpamattanara
paragoを数える牛飼いgopaのよう 沙門sāmaññaの仲間に入ることなし


語句:
たくさんbahu
わずかにappa

20.
たとえためになることを少ししか語らないにしても、
理法dhammaにしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、
正しく気をつけていて、心が解脱してvimutta
執著することの無い人は、修行者sāmaññaの部類に入る。

Appampi ce sahita bhāsamāno,
dhammassa hoti [hotī (sī. pī.)] anudhammacārī;
Rāgañca dosañca pahāya moha, sammappajāno suvimuttacitto;
Anupādiyāno idhahura vā, sa bhāgavā sāmaññassa hoti.

聖語をわずかにappa語ろうbhasatiと 
dhamma従い行なう者anudhammacārin
貪りrāga怒りdosa愚痴moha捨てpahāya 
正知しsammappajānacittaよくsu-解脱してvimutta
この世idhaあの世huraに捉われず かれは沙門sāmaññaの仲間に入る


語句:
貪りrāga怒りdosa愚痴moha

Yamakavaggo pahamo niṭṭhito.




パーリ語:Online Pali Tipitaka




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