ダンマパダ 法句経
第一章 ひと組みずつ[中村元]
第一 一対の章[片山一良]
1対なるものの章 [正田大観]
1
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、
苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
もろもろの法は意を先に 意を主に意より作られる
もしも汚れた意をもって 語り、あるいは行えば
それより苦がかれに従う 牛足跡の車輪のように
諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。
もし、汚れた意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、
そののち、彼に、苦しみが従い行く――〔荷を〕運ぶ〔牛〕の足跡に、車輪が〔付き従う〕ように。
2
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、
福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。
もろもろの法は意を先に 意を主に意より作られる
もしも清き意をもって 語り、あるいは行えば
それより楽がかれに従う 離れることなき影のように
諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。
もし、清らかな意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、
そののち、彼に、楽しみが従い行く――影が離れないように。
3
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」
という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。
「私を罵った、私を打った 私を破った、私を奪った」
かかる思いをとどめる者に 怨みが静まることはない
「〔彼は〕わたしを罵った。〔彼は〕わたしを打った。〔彼は〕わたしに勝った。〔彼は〕わたしから奪った」〔と〕、
しかして、彼らが、彼を怨むなら、彼らの怨みは静まることがない。
4
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」
という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
「私を罵った、私を打った 私を破った、私を奪った」
かかる思いをとどめぬ者に 怨みはやがて静まりゆく
「〔彼は〕わたしを罵った。〔彼は〕わたしを打った。〔彼は〕わたしに勝った。〔彼は〕わたしから奪った」〔と〕、
しかして、彼らが、彼を怨まないなら、彼らの怨みは止み静まる。
6
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
この世の怨みは怨みをもって 静まることはありえない
怨みを捨ててこそ静まる これは永遠の法である
まさに、〔怨みにたいし〕怨みをもって〔為すなら〕、諸々の怨みは、この〔世において〕、いついかなる時も、静まることがない。
しかしながら、〔怨みにたいし〕怨みなきをもって〔為すなら〕、〔諸々の怨みは〕静まる――これは、永遠の法(真理)である。
6
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
他の者らは知ることがない 「われらはここで死ぬのだ」と
しかしそこで知る者らに どの争いもそれより静まる
しかしながら、他者たちは、〔わたしたちが滅び行く存在であることを〕識知しない。わたしたちは、ここにおいて、〔自らが滅び行く存在であることを識知して、自らを〕制するのだ。
しかして、彼らが、そこにおいて、〔自らが滅び行く存在であることを〕識知するなら、そののち、諸々の確執は静まる。
7
この世のものを浄らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、
食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、
悪魔にうちひしがれる。弱い樹木が風に倒されるように。
「美のものなり」と観続け 感覚器官を護らずに住み
食事に量を知ることもなく 怠けて精進することもない
かれを悪魔が必ず襲う 風が弱木を襲うように
浄美の随観者(不浄のものを「美しく価値がある」と見る者)として〔世に〕住んでいる者を、諸々の〔感官の〕機能(根)において〔自己が〕統御されていない者を、
さらには、食について量を知らない者を、怠惰で精進に劣る者を、
彼を、まさに、悪魔は打ち負かす――風が、力の弱い木を〔倒す〕ように。
8
この世のものを不浄であると思いなして暮し、(眼などの)感官をよく抑制し、
食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、
悪魔にうちひしがれない。岩山が風にゆるがないように。
「美のものならず」と観続け 感覚器官を護り住む
また食事にも量を知り 信あり精進努力する
かれを悪魔は決して襲わず 風が岩山を襲わぬように
不浄の随観者(不浄のものを「美しくなく価値がない」と見る者)として〔世に〕住んでいる者を、諸々の〔感官の〕機能において〔自己が〕善く統御された者を、
さらには、食について量を知る者を、信があり精進に励む者を、
彼を、まさに、悪魔は打ち負かさない――風が、山の巌を〔倒そうとして倒せない〕ように。
9
けがれた汚物を除いていないのに、黄色の法衣をまとおうと欲する人は、
自制が無く真実も無いのであるから、黄色の法衣にふさわしくない。
汚れを除き去らずして 袈裟の衣をまとおうと
調御と真理にほど遠い かれは袈裟に値せず
すなわち、無濁ならざる者が、黄褐色の衣(袈裟)をまとうとして、
調御と真理(諦)から離れた者は、彼は、黄褐色〔の衣〕に値しない。
10
けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、
自制と真実とをそなえているから、黄色の法衣をまとうのにふさわしい。
しかし汚れを除き去り もろもろの戒に安定し
調御と真理をそなえたる かれこそ袈裟に値する
しかして、すなわち、汚濁を吐き捨てた者として〔世に〕存し、諸戒において〔心が〕善く定められたなら、
調御と真理を具した者は、彼は、まさに、黄褐色〔の衣〕に値する。1.8サーリプッタ長老の事例
11
まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、
あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない。
不真を真と思いなし また真を不真と見る
かれらは真にいたらない 邪悪な考え持つゆえに
真髄(実:真実・本質)なきものについて真髄と思い、さらには、真髄あるものについて真髄なきと見る者たち
――誤った思惟(邪思惟)を境涯とする者たちは、彼らは、〔法の〕真髄に到達しない。
12
まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、
正しき思いにしたがって、ついに真実に達する。
しかし真を真と知り また不真を不真と知る
かれらは真によくいたる 正しい考え持つゆえに
しかしながら、真髄を真髄と知って、さらには、真髄なきものを真髄なきものと〔知って〕、
正しい思惟(正思惟)を境涯とする者たちは、彼らは、〔法の〕真髄に到達する。
13
屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、
心を修養してないならば、情欲が心に侵入する。
あたかも粗く葺かれた家に 雨が深く染み込むように
修習されていない心に 貪りは深く染みてゆく
すなわち、〔屋根が〕だらしなく覆われた家に、雨が漏れ入るように、
このように、修められていない心に、貪り〔の思い〕は漏れ入る。
14
屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、
心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することが無い。
あたかもよく葺かれた家に 雨が深く染み込まぬように
よく修習された心に 貪りは深く染みゆかず
すなわち、〔屋根が〕しっかりと覆われた家に、雨が漏れ入らないように、
このように、善く修められた心に、貪り〔の思い〕は漏れ入らない。
15
悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。
かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
悪行の者はこの世で嘆き あの世で嘆き、両世で嘆く
かれは嘆き、かれは悩む 自己の汚れた業を見て
悪しき〔行為〕を為す者(悪業を作る者)は、この〔世において〕憂い悲しみ、死してのち憂い悲しむ。〔すなわち〕両所において憂い悲しむ。
彼は、〔この世において〕憂い悲しみ、彼は、〔死してのち〕打ちのめされる――自己の行為(業)の汚れを見て。
16
善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
かれは、自分の行為が浄らかなのを見て、喜び、楽しむ。
善行の者はこの世で喜び あの世で喜び、両世で喜ぶ
かれは喜び、かれは満ちる 自己の業の清まりを見て
善き〔行為〕を為した者は、この〔世において〕歓喜し、死してのち歓喜する。〔すなわち〕両所において歓喜する。
彼は、〔この世において〕歓喜し、彼は、〔死してのち〕大いに歓喜する――自己の行為の清浄を見て。
17
悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。
「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。
悪行の者はこの世で苦しみ あの世で苦しみ、両世で苦しむ
「私は悪をなした」と苦しむ 悪道に行き、さらに苦しむ
悪しき〔行為〕を為す者は、この〔世において〕悩み苦しみ、死してのち悩み苦しむ。〔すなわち〕両所において悩み苦しむ。
〔この世では〕「わたしは、悪を為した(悪業を作った)」と悩み苦しみ、〔死後は〕悪しき境遇(悪趣)に赴き、より一層、悩み苦しむ。
18
善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。
善行の者はこの世で歓び あの世で歓び、両世で歓ぶ
「私は善をなした」と歓ぶ 善道に行き、さらに歓ぶ
善き〔行為〕を為した者(功徳を作った者)は、この〔世において〕愉悦し、死してのち愉悦する。〔すなわち〕両所において愉悦する。
〔この世では〕「わたしは、善を為した(功徳を作った)」と愉悦し、〔死後は〕善き境遇(善趣)に赴き、より一層、愉悦する。
19
たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。
牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。
聖語をたくさん語ろうと その実践がなく怠る人は
他牛を数える牛飼いのよう 沙門の仲間に入ることなし
たとえ、もし、益を有する〔聖典の言葉〕を多く語るも、それを為す者と成らないなら、怠る人である。
他者たちの牛を数えている牛飼いのようなものであり、沙門(修行者)の資質を分け持つ者には成らない。
20
たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、
情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、
執著することの無い人は、修行者の部類に入る。
聖語をわずかに語ろうと 法に従い行なう者は
貪り・怒り・愚痴を捨て正知し、心がよく解脱して
この世あの世に捉われず かれは沙門の仲間に入る
たとえ、もし、益を有する〔聖典の言葉〕を僅かに語るも、法(教え)を法(教え)のままに行じおこなう者として〔世に〕有るなら、
貪り(貪)と、怒り(瞋)と、迷い(痴)を捨棄して、心が善く解脱した正知の者は、
この〔世〕であろうと、あの〔世〕であろうと、〔両者ともに〕執取することなく、彼は、沙門の資質を分け持つ者と成る。